南中央ペルシア絨毯の系譜
キルマン
Kirman(Kerman)は、ペルシアを代表する重要な絨毯産地のひとつです。同規模の中心地の中でも比較的波乱の少ない歴史を歩み、外部からの干渉が少なかったため、美術工芸はのびやかに発展してきました。それは地理的な隔絶によるところが大きく、古いインドへの隊商路を除けば主要な商業ルートから外れていたこと、また乾燥した気候のためにペルシア五大州の中でも最も貧しい地域のひとつであったことが背景にあります。
19世紀のケルマン・モスク絵葉書歴史
Carmania(カルマニア、のちの Kirman)は、古代から近世にかけてアケメネス朝、セレウコス朝、アルサケス朝、ササン朝に属した歴史地域であり、現代イランのケルマン州にほぼ相当します。西にペルシア、南東にゲドロシア、北にパルティア、北東にアリアを接し、古くは Ariana の一部と見なされていました。この都市は長いあいだ地方的な孤立のなかで存続し、国土の他地域を荒廃させた度重なる侵略にもかかわらず、基盤となるペルシア人住民の生活は比較的安定していました。11世紀にこの地を征服したセルジュークは、アゼルバイジャンやハマダンのようにここへ定住することを望まず、モンゴルもはるか南まで進出しませんでした。そもそもケルマンは裕福な土地ではなく、そこへ向かう大きな動機も乏しかったのです。サファヴィー朝のもとでは、州は平穏な安定を享受し、アフガン侵攻すら大きな混乱要因にはなりませんでした。都市が大規模な包囲を受けたのは1794年の一度で、アーガー・モハンマド・カージャール軍によって大きな被害を受けたのち、ゆっくりと回復していきますが、依然として豊かな土地ではありませんでした。近代に至っても、その重要性はほとんど専ら絨毯産地としての名声にあり、ペルシア社会に変化をもたらした政治・社会運動との関わりは周縁的なものでした。
1578年頃 メルカトル地図に見るカルマニア(キルマン)絨毯産業の発展については、他の産地と同様にケルマンでも記録が十分ではありませんが、少なくともサファヴィー朝期に織りが行われていたことは明確に確認できます。ペルシアでも屈指の柔らかく白い羊毛が産出され、外部から資金を引き込む手段が限られていたこの土地では、羊毛を交換価値へと変えることはほとんど必然でした。こうしてケルマンでは、時代ごとの市場の要請に応えるさまざまな織物が生み出されていきます。マルコ・ポーロの時代には、彼が他の布地について詳細に語る一方でラグに言及していないことから、まだ主産物ではなかったようです。しかし、1666年と1672年に当地を訪れたシャルダンは地元の絨毯について記し、シャー・アッバース時代の年代記『アーラマーラーイ・アッバースィー』にもその存在が見られます。当時、ケルマンの絨毯はインドへも運ばれ、おそらく当地の織りにも影響を与えました。アフガン侵攻が産業に与えた影響は不明ですが、一定の衰退をもたらしたであろうことは想像に難くありません。それでも18世紀のあいだ、絨毯織りは何らかのかたちで続いていたと考えられます。
キルマン絨毯の文様文様
ケルマン絨毯のデザインは、いくら称賛しても尽きることがありません。1870年代から1930年代にかけて、ケルマンの作品はつねに精緻な構想と見事な実現を示し、そのデザイン展開は他産地よりもはるかに徹底していました。優れた作品の多くには、全面文様やパネル構成による凝った設計が用いられ、各種のショール文様から転用された意匠も数多く見られます。デザイナーたちは都市社会のなかで高い地位を占め、最も尊敬される職人のひとつとされていました。彼らの貢献は、他地域のすべてのデザイナーを合わせた以上とも言われるほどで、ケルマンの優れた意匠家の多くはテヘランのデザイン研究所創設にも加わっています。個々の一枚においては他都市の名品に強い魅力を感じることもあるでしょう。しかし総体としての完成度では、ケルマンに比肩するものはほとんどありません。
文様面では、この地域の絨毯は北西ペルシアの作品とは異なり、より純度の高い色彩と、大胆で独創的なデザインを備えています。これは、生き物の表現に対してアラブ的禁忌の影響が比較的弱かったためとも考えられます。花、樹木、鳥、獣、風景、さらには人物までが、ケルマン絨毯には自由に姿を現します。
ケルマンの花瓶技法絨毯色彩
ケルマンの羊毛の白さと、おそらくは水質の特性も相まって、この地の絨毯には他では得がたい鮮やかな発色が生まれます。
ケルマンの染色は、おそらくペルシア全土でも最も多彩で想像力に富んだものです。利用される色の階調はきわめて豊富で、一枚の絨毯の中にさえ大きな変化を見ることができます。赤には伝統的にコチニールが用いられ、茜は補助的に使われるにとどまりました。そのため、ごく繊細なピンクから深いマゼンタに至る幅広い色域が生まれ、これはケルマン絨毯を特徴づける重要な要素となりました。青は藍によるもので、こちらもまた多彩な濃淡を持ちます。化学染料はケルマンではあまり成功しなかったとされますが、それは染色家たちがこの地で重要な職人階層を形成していたからかもしれません。
写真:キルマン絨毯の織り、2021年 ディヤルバクル織りと制作
ケルマンの絨毯は、ペルシアの中でもとりわけ見分けやすい作品群のひとつであり、曲線的で優雅な花文様と、輝きに満ちた多彩な色彩によって知られています。サイズも幅広く、大作に至るまでほぼあらゆる寸法で織られてきましたが、もっとも一般的なのはおよそ 4 x 6 フィート前後で、このサイズに最も精妙な技巧が注がれることが多いと考えられます。基礎はつねに木綿で、他のペルシア都市絨毯とは異なり、一段の結びごとに三本の緯糸が通され、そのうち一本は非常に細いものです。これは構造を強めるためというより、伝統として受け継がれてきた要素でした。古い作例では交互の経糸が沈み、パイルは短く刈り込まれています。結び密度には少なくとも四つのグレードがあり、最上級品は 1インチあたり 18 x 18 を超え、その他にも 16 x 16、14 x 14、12 x 12 程度の密度が見られます。ケルマン絨毯は、ほぼつねに 1インチあたり 140 ノットを上回る高密度で織られています。