アナトリア絨毯の系譜

アナトリア

私たちのコレクションに見られるようなアナトリア絨毯は、しばしば「村のラグ」と総称されます。しかし実際には、1550年頃以前にアナトリア中部および東部で作られた絨毯の多く、あるいはそのほとんどすべては、遊牧部族、とりわけ季節ごとの放牧地のあいだを移動する小規模な家族集団によって制作された可能性が高いと考えられます。彼らは権力者が引こうとした境界線にほとんど頓着しませんでした。オスマン朝は1380年代以降、西アナトリアのトルクメン遊牧民を町や村に定住させ始めましたが、中部・東部アナトリアの部族集団に対して本格的に定住政策を進めたのは16世紀半ばになってからです。それでも多くの遊牧民は伝統的な生活を変えることに強い抵抗を示し、1960年代になってもなお、アナトリア各地を移動しながらラグを制作する小規模な部族集団が存在していました。

過去と未来

歴史

1048年以降、セルジュークの征服に続いて、オグズ系トルクメンの諸部族が、コーカサスの山地や現在のトルクメニスタンの砂漠のオアシスから、豊かな草地を求めてアナトリアへと流入しました。この移動の理由は、放牧地の魅力だけではありません。これらの世紀は、侵略の連続と集落の破壊、そしてとりわけ東アナトリアにおける統治の断絶が続いた時代でもありました。13世紀半ばのモンゴルの侵攻はトルクメンの人々を西へ押しやり、15世紀のティムールのアナトリア侵攻も同様の移動を促しました。その後には、地方のベイが支配する無数のベイリクの分裂期が続き、やがてオスマンの覇権が確立されますが、それもまた決して平穏な過程ではありませんでした。

1900年代頃のトルコ式ローラービーム織機と織り手、ギョルデス地方

こうした絨毯は、トルコ系諸民族がアナトリアへ最初に移住してきた時代から18世紀に至るまでの、部族社会の芸術を見事に切り取った断面だと言えます。18世紀半ばまでに、何世紀にもわたり自家用の結びパイル・ラグを織ってきた小さな家族集団の多くは、次第に村落生活へ移行し、その一部は商業用ラグの制作も始めるようになりました。しかし、こうした家族集団の歴史については研究が十分ではなく、アナトリア内部での移動や社会の中で果たした役割は、文書資料の不足もあってほとんど解明されていません。遊牧民共同体の歴史が、定住経済や定住文化に対する敵対者という二次元的な役割へと押し込められてきたのは、現代資料にも後世の歴史叙述にも共通する偏りでした。絨毯研究においても、最良の絨毯は定住村落や商業的文脈でのみ織られたに違いないという前提がしばしば影響しています。しかし、アナトリアにおけるトルクメン遊牧民の歴史を、彼らの到来から18世紀まであらためて見直すことで、この時代の絨毯制作に対する新たな見方が開かれてくるのです。

アナトリア絨毯の文様
文様・モチーフ・象徴

文様

構成、文様、装飾は個人に属するものではなく、母や祖母、叔母たちが若い女性を導きながら、世代から世代へと受け継いできた伝統芸術の一部でした。若い花嫁は結婚すると親元を離れ、しばしば別の土地へ移っていくため、装飾文様の伝達は主として母系を通じて行われた可能性が高いと考えられます。

民族誌の報告によれば、絨毯やキリムを含む織物の多くは、花嫁が持参金として自ら制作するものでした。少なくとも50年は使える堅牢な織りを生み出せるかどうかに加え、部族の象徴をどれだけ理解し、それを巧みに表現できるかが、花嫁の力量として見られていたのです。彼女の手元には母の織物が手本としてあり、そのため彼女の絨毯は、母が15年から30年前に織ったものとほとんど見分けがつかないこともありました。新しい家庭のために新しい絨毯を織ることは、結婚と世代継承における重要な儀礼でした。家族集団が孤立していればいるほど、外部からの影響は入りにくく、文様の変化も緩やかになります。伝統的な文様の変化は、異なる集団間の婚姻や、他者の織物との接触によってもたらされたのでしょう。

ジェンティーレ・ベッリーニ《玉座の聖母子》に描かれた、いわゆる「ベッリーニ型」アナトリアの礼拝用絨毯
色彩文化

色彩

遊牧牧畜民の生活が、多くの所有物を許さなかったことは確かです。部族が移動のたびに運んだ荷には、暖をとるため、物を収めるため、住まいを飾るための絨毯やキリムを含め、必要不可欠なものだけが含まれていました。絨毯はまず実用品でしたが、そこに文様と色彩が加わることで、特定の集団の芸術を象徴するものとなりました。それは女性たちの芸術であり、重要な表現媒体でもあったのです。

アナトリア絨毯に用いられる伝統的な染料は、植物、昆虫、鉱物から得られます。アナトリアのラグは、原色の使用がより顕著である点で他地域の絨毯とは異なります。西アナトリアでは赤と青が好まれ、中央アナトリアでは赤と黄がより多く用いられ、白による鋭い対比が加えられます。天然染料としては、茜(Rubia tinctorum)による赤、タマネギ、複数のカモミール類、ユーフォルビアなどによる黄、オークの虫こぶやドングリ、タンナーズ・スマックによる黒、藍と黄の重ね染めによる緑、茜と黄の重ね染めによる橙、そして Indigofera tinctoria 由来の藍などが使われてきました。

写真:アナトリア絨毯の織り、2021年 ガズィアンテップ
私たちの織りの工程

織りと制作

アナトリアのラグは、ほとんどの場合左右対称の結びによって織られます。この技法は地域一帯で非常に広く用いられていたため、20世紀初頭の西洋の絨毯商たちは、この結びを「トルコ結び」または「Ghiordes knot」と呼ぶようになりました。1870年代以降になると、オスマン宮廷工房では、金糸や銀糸を織り込んだ絹パイルのラグも制作されます。しかし大多数のアナトリア絨毯にとって、伝統的な素材はあくまで手紡ぎ・天然染色の羊毛でした。

トルコ絨毯で最も多く用いられるパイル素材は羊毛です。柔らかく、丈夫で、扱いやすく、しかも高価すぎないためです。木綿より汚れに強く、静電気を帯びにくく、暑さにも寒さにも対する断熱性を持っています。このような特性の組み合わせは、他の天然繊維にはなかなか見られません。羊毛は羊の被毛から採取され、白、茶、黄褐色、黄、灰などの自然色を持つため、染めずにそのまま使われることもあります。さらに羊毛は染料の乗りもよく、伝統的なトルコ絨毯に使われる糸は、手で紡がれてきました。織りに用いる前には、十分な強度を得るために複数本の糸が撚り合わせられます。